確かに、動物的に生きる上で、「書」は、不要不急の類いです。

しかし、人間が人間らしく生きる上で、不要不急と切り捨ててしまうことに、どうしても、恐ろしさが拭えません。



書は「命」に関わりません。

しかし、書は、人間の「魂」に、直接関わるのです。



書は、その人の想いや生き様をコトバに化体させることで、

他者との間で「魂の共鳴」を起こすという、3000年の歴史が磨いた文化的装置です。



書が途絶えるということは、「魂の共鳴」、つまり、他者との関わりの中で立ち上がる、

自分の「ありか」を実感する機会を、またひとつ、失ってしまうことなのです。



だからこそ、このウイルス災禍のなかでも、書を途絶えさせて欲しくない。そこで、自宅でも書を…と、

解説揮毫動画配信や個別添削指導、書道道具のお届けなど、在宅書道を支援するサービスを次々と始めています。



有難いことに、その支援に対する温かいお手紙を頂戴し、

まさに「書」による「魂の共鳴」を、図らずして実感させてもらっています。



果たして、他者との触れ合いを抑止し、不要不急を排除していく社会に、未来はあるのでしょうか。

人間が人間らしく生きることは、いったいどのようなことなんでしょう(憲法25条第1項参照)。



書法道場は、「書」を楽しむことで魂の共鳴を起こし、未来を豊かに生きる「希望」を育む場所です。

今月も、そんな「場」を、みんなでコツコツと磨き続けていこうと思います。





書法道場師範 武田双鳳



※憲法第25条第1項 

すべて国民は、健康で「文化的」な最低限度の生活を営む権利を有する








新型コロナウイルスによる災禍がおさまりません。

「パンデミック」という通り、世界中で感染爆発が起こり、(執筆時点で)東京のロックダウンの可能性も高まっています。

書法道場のある滋賀と京都も、他人事ではありません。



当道場における対策としては、

政府推奨の感染予防策(三つの密を避ける、手洗い消毒、咳エチケットなど)の実施を徹底します

(ドアノブ等の消毒や換気の徹底、席の配置換えによるパーソナルスペースの拡大など)。



生徒の皆様においても、入室時の手洗い消毒や、咳やくしゃみがでる場合のマスクの着用、

こまめな水分補給等、ご協力をお願いします。





自粛の圧のため、休業する教室も増えていますが、当道場は通常通り稽古を行う予定です。

当道場の稽古は、効果的なコロナ対策といわれる「免疫力の向上」を実現するものであり、

、必要な対策を講じつつ、稽古は継続した方が「身のため」だと考えています。



書を楽しめば、ストレスは解消され、血流も改善します。

そして、何よりも、日々をイキイキと過ごす(≒免疫力を維持する)手がかりを得ることができるのです。





また、新型コロナウイルスによる健康被害は大変恐ろしいものですが、

人々の過度の不安によるパニックは、それ以上に恐ろしいものかもしれません。

食料品の買い占め、過剰な自粛要請、感染者への個人攻撃など、例を挙げれば枚挙にいとまがありません。



そこで、書法道場としては、手洗い、咳エチケット、濃厚接触防止、免疫力向上といった

一般的な感染予防策に加えて、パニックに陥らないための「心洗い」も推奨していきます。

かといって、特別なことをするわけではなく、いつも通り書を楽しんでいきます

(ただ、「心洗い」を頭の片隅に置いておいてもいいかもしれません)。



書で心を表すことは、すなわち、心を洗うこと。

書は、心に巣食うパニックの種(過度な不安等)を、やさしく癒し、中和してくれる石鹸のようなものです。


ウイルスを「正しく恐れる」ために「書を楽しむ」。一見、矛盾しているようですが、書を嗜むうちに分かります。

このウイルス災禍と自分の間に、ほどよい距離感が生まれますから。








生徒の皆さんが「コック」として腕をふるって、京都の文化財を書作品で味付けする書法道場展。

第5回目は、どんな「コース料理」を味わえるのでしょう。



テーマを「祝(はふり)」にしたのは直感ですが、

理由を挙げてみるならば、「呪」(「祝」は同源)、「葬」(「祝」(はふり)と同音)といったダークサイドと表裏一体の関係・・・

というスリリングさに惹かれたからでしょうか(漫画「ノラガミ」の「祝の器」のように)。



もちろん、「祝」はポジディブな言葉で、「めでたいとして喜ぶ」、「心身を清らかにする」といった意味。

ただ、闇があるから光は輝き、余白があるから墨色が冴えます。



とにかく前向きに〜と、ネガティブを顧みないポジティブは、まさに「カラゲンキ」。元気が空っぽになります。

「祝」も同様で、「呪」や「葬」があるからこその「祝」でなければ、「カラハフリ」となって、その色はくすんでしまいます。



大切なのは、ポジティブでもネガティブでもない、祝でも呪でもない「ニュートラル」の状態に立ち戻ること。

そう言われて、「ニュートラルにしなきゃ」と自縄自縛したとすれば、

「心構え」だけで何とかしようという傾向が強い(心が前すぎる)ことの表れかも。



ならば、「身体が前」と、まずは「身体構え」(呼吸や姿勢)を整えてみるといい。

全身を筆先に通すことで心を開放する「書」は、まさに「カラダガマエ」を整え、「ニュートラル」に導く道具なのです。



有難いことに、今回の書法道場展には、100を超える出品がありました。



ウイルス災禍で、ダークサイドに傾く今だからこそ、

みなさんが「コック」として、命を輝かせて仕上げた「コース料理」は、社会にとって栄養満点の「ごちそう」です。


お腹を空かせた多くの人に、ぜひ、書の美味しさを分け与えていきましょう。







自分を他人と比較することは、いいことなんでしょうか。

「他人と比較するな」といったアドバイスも出回っていますが、

幼少の頃から、天才の兄と比べられてきた自分としては、少し考えるところがあります。



例えば、SNSで「いいね」の数を競うように、
他人との優劣を比べることで、やる気を奮い立せることができるかもしれません。


しかし、優劣の比較ばかりでは、
いつか燃え尽きてしまい、結局、虚しさに覆われてしまうように思います。


だからといって、他人と比較を放棄することは、
人間社会に生きている以上は、難しいことでしょう。。



そこで、虚しさを生む比較の仕方を変えて、
より健やかさで満たされるよう仕向けられないものでしょうか。


書法道場では、「他人の書は最高のお手本」という前提で、
積極的に他人の書き方との比較を行います。


その際、まずは、優劣の評価を極力控え、
間違い探しゲームのように、事実として異なる箇所を探していきます。



そうやって書き味の違いを比べていると、
自分にはない「美」が他人の書から発見され、思わず、褒め言葉が、漏れ出てきます。


同時に、灯台下暗しだった自分の個性(クセ・偏り・過大・過少など)に気付くこともできます。
自分一人では、決して見えなかった「伸びしろ」が、他人との比較によって如実にあぶりだされていくのです。



 「羨む」のではなく「尊ぶ」。「妬む」のではなく「称える」。
「他人の書は最高のお手本」という比較の前提は、他人にも自分にも、自然な敬意を払うようにするものです。


この比較の前提が書道以外の日常に広がれば、
他人と比べる生きづらさが、健やかさを生み出すタネとなっていくのかもしれません。




                                                              書法道場師範 武田双鳳





新年、あけましておめでとうございます。



今年は「子年」ですね。

子年は、「新しいチャレンジを始めるのにふさわしい年」であり、

「人生の流れを大きく変えられる年」といわれます。


その理由を3つ挙げてみると、




@ 「子」の字が、「終わり」を意味する「了」と、「始まり」を意味する「一」で作られている。


A 「漢書」律歴志によると、「子」は「孳(し)」(「ふえる」の意味)で「種子から芽が出た状態」、

つまり、「新しい生命が萌(きざ)し始める状態」をいう。


B ネズミは大黒様の使い。大黒様の祭は「子祭」と呼ばれ、子月子日に行われる。

この日は「大黒」で、言いかけでは「太極」となり、物事の流れが大きく変わる日だとされる。




もし、言い伝え通りならば、新たなチャレンジをしたくなってきませんか。

十二支の流れにのって、「よし、やろう」と決断し宣言すれば、

未知への冒険に向かうようで、ワクワクしてきませんか。



もちろん、「このままでいい」も素晴しいことです。ただ、普段やらないことを、勇氣を出してやってみれば、

自分という存在の豊かさを、また違った角度から実感できたりします。



書法道場は、これからも、

書の力を借りながら生徒のチャレンジにエネルギーを与えていきたい。



それと共に、より稽古が充実するよう、

小さくとも新しいチャレンジを、日々積み重ねていきたいと思います。



子年は「一陽来復」。「冬が去り春が来る年」とも言われます。

2020年は、どんな「春」で、僕らの日常が彩られていくのでしょう。



                                                              書法道場師範 武田双鳳