手本を見て、ひたすら書く−。書道(習字)といえば、そんなイメージが浮かんできませんか。もちろん、「見て書く」(臨書)は大切な稽古。決して、疎かにはできません。



しかし、いつしか、見て書くことが流れ作業のようになり、稽古(臨書)ではなく単なる儀式(コピー)となっているケースは、書道においては稀なことではありません。



なぜ、儀式化しやすいのか。「書く」に付随する「やった感」(達成感)に、酔ってしまうからではないでしょうか。書けば書くほどに分厚くなる紙の束は、稽古の効果があるか否かに関わらず、「やった感」を生みます(それが、稽古として成立しているかどうかに関わらず)。そうやって、手段であるはずの「書く」が目的化し、「ひたすらに書いているのに、その場に留まり続ける」という奇異なはずの現象が、当たり前の光景になってしまうのです。



書法道場では、稽古の儀式化を防ぐ手立てを、常時、稽古に組み込んでいます。先月の稽古では、特に「記憶」を重視しました。「見て→書く」の間に、「覚える」(覚えようとする)を挟めば、「酔い覚まし」の効果が生じます。手本を見て書いたのに、体が覚えていない(手本なしで書けない、すなわち、身に付いていない)ことに、気づかされるからです。



もっとも、家族の電話番号ですら「覚える」から「調べる」になった現代人が、記憶の力を借りるには、前提として「覚え方を覚える」ことも必要でしょう(誰かに説明する、グルーピングする等)。ちなみに、「地に足がつく」ことも記憶法の基礎ですから、体操の時間も大切にしたいものです。



さて、4月から在籍されている生徒の皆さんは、覚えておられるでしょうか。「永字八法」+「補足十二法」+「追加12側」(合計32の基本書法)を。最も基礎的な記憶術は「繰り返し」。今後、ことある毎に、基本書法を尋ねていきます。決して、嫌がらせではなく、より書の愉しみを深めて欲しいからです。どうか、苦虫をかみ潰したような顔をされないように・・・。




書法道場師範 武田双鳳