ある木こりの男が、親方から斧を一本渡され、1日で18本の木を切り倒した。

「よくやった」と親方に褒められ、「もっと頑張ろう」と、

翌日、男は誰よりも早く起き森に向かったが、15本しか切り倒せなかった。


「疲れているに違いない」と日暮れとともに寝床に入り、

夜明けとともに目を覚まし、「何としてでも」と自分を奮い立たせたが、3日目は7本、4日目は5本、

最後には夕方になっても2本目の木と格闘していた。


男が親方に相談すると、親方は「最後に斧を研いだのはいつだ」と尋ねると、

男はこう答えた。「木を切るのに精一杯で、斧を研ぐ時間なんてありません」

(寓話「がんばる木こり」)




研ぐのを怠り、切れなくなった斧で、がむしゃらに木を倒そうとする木こりの話。

笑い話のようですが、わが身を振り返ってみると、耳が痛くもなります。



「いい作品を」と、がむしゃらに書き込んで100枚書いても、

結局は1枚目の方の出来が良かったことがあります。



そんなときは、ムキになって書きすぎて、「斧を研ぐ」を忘れています。

例えば、肩関節や股関節まわりのコリを緩めようとしなかったり、

課題そのものしか見ず、その背景や歴史、筆などの道具の特性にまで、

思いを馳せることができなくなったり。



「斧を研ぐ」とは、前提となる身体を整えたり、頭脳を磨くこと。

書法道場で足首や手首をゆるめて筆先への通りを良くしたり、

書の歴史を学び美のエッセンスを味わうことは、

まさに、書を仕上げうえでの「斧を研ぐ」ということでしょう。


仕事や受験、スポーツなどにとっては、書は斧を研ぐ「砥石」です。

例えば、臨書で学ぶことができる達人の美的感覚や身体感覚、発想力などは、

現代を豊かに生きる力を与えてくれます。


忙しさにかまかけて、斧を研ぎ忘れていないか−。

書譜や礼器碑を臨書しながら、今一度、自分自身に問いかけてみようと思います。



                                                              書法道場師範 武田双鳳