先日、京都新聞主催の「日本人の忘れもの・知恵会議フォーラム」にお招きいただきました。



主要なテーマは「中景」。哲学者の鷲田清一さんによれば、「中景」とは、近景(個人)でもなく遠景(国家)でもない、

中間コミュニティ(自治会、組合、学校、職場、お寺など)。



人は一人では生きられません。

だからこそ、中景という、お互い様で生きる装置は大切な存在でした。



しかし、近代化により、医療、教育など生活基盤の全てを国家に任せた結果、

市民は地域のメンバーではなく、国家のコンシューマー(顧客)となり、中景はやせ細っていきました。



いまや、火を起こせない、飲み水をつくれない、自分たちで自分の面倒を見られない状態になっているのです。

国家を大型貨物船に例えるなら、中景が弱体化するということは、積荷の括りがゆるんだ状態です。



船が傾けば、ドッと積荷が片寄り、スグに沈んでしまいます。

鷲田さんは、人口減少、エネルギー資源の枯渇、財政破綻などの危機が、近未来に一気に発現する原因は、

「積荷の括りのゆるみ」、つまり、「中景のやせ細り」にあるのではないかと言われます。



そうであるならば、中景の回復が喫緊の課題ですが、

いったい、僕らは何をすればいいのでしょう。難しようですが、案外、やることはシンプルかもしれません。



書法道場は、まさに、「中景創出の場」。生徒の皆さんであれば、稽古にぼちぼち参加すればいいのです。

コンシューマーではなく、自らも場を育むメンバーの一員として。



もちろん、いろんなコミュニティやイベントに参加するのもいいでしょう。

ただ、自分にとって豊かな中景を感じる前提には、「内景」(自分自身との関係)の健やかさが存在します。



内景がぼやけ、自分の心身の状態を思いやる術を知らない人が、

どうして、それぞれを思いやる「お互い様の場」(中景)を育めるでしょう。



内景を健やかにし、豊かな中景を築く際におススメなのが、自分を思いやる機会に身を浸すこと。

「書」には、歴史が磨き上げた「思いやりの極意」が詰まっています。



ぜひ、今月も、書に身を浸す充実を、みんなと一緒に味わっていきましょう。



                                                              書法道場師範 武田双鳳