僕らは生まれながらに、いろんなシガラミに覆われています。

シガラミがあるおかげで、社会が安定するという面もあるでしょう。




ただ、先の大戦のように、全体主義や同調圧力といったシガラミが、時には、僕らの幸せを奪うこともあります。

このようなシガラミの暴走を阻止せんと、多数派によるシガラミですら立ち入り禁止の「私的領域」(自由・人権)を再確認したはずでした。




ところが、どうでしょう。

多数派のコロナパニックで作り出された不合理なシガラミが、

食事や息の仕方、人との接し方といった純粋な私的領域にまで、次々と土足で踏み込んでくるじゃありませんか。




特に、子供達に対するシガラミは過酷で、会話や素顔の禁止、運動会等の各種行事の中止など、

その年齢でしか経験できない大切な機会を奪いつくされてしまいました。




重大かつ長期の人権侵害という異常事態であるのに、リベラル派を標榜する政治家や専門家ですら、

「ケイザイヨリイノチ」といった保身で思考停止し、声をあげようとはしません。

人との触れ合いを断ち切るシガラミが、いかに子供達の幸せを蔑ろにするものか、想像に難くはないはずなのに。




僕は、このパニックによる同調圧力から子供達を護ることができなかったことに、

大人の一人として大変申し訳なく思っています。




特に、2022年5月まで書法道場でマスク着用を推奨してしまったことは、憲法を学んだ者として本当に恥ずべきことでした。

今になっても、マスクを外せない子供を目の当たりすると、心が強く痛みます。




もう二度と、シガラミの無理強いによって、目の前の小さな「慈」(いつくしみ)や「優」(やさしさ)を奪うようなことをしてはなりません。

どうか、どうか、このパニックが早く収束し、子供達がジユウになりますように―。



師範 武田双鳳











頑張れ、負けるな、何者かになれ…。

いつか誰かに刷り込まれた常識という「牢獄」に幽閉され、カラダを固め、こころを塞いでしまう。



素で息をするな、人と触れ合うな、外に出かけるな…。

三年にもわたるコロナ対策で、さらに深く暗い「牢獄」に閉じ込められてしまう。



僕らは、何かと競うために生まれてきたのでしょうか。

何者かになるために生まれてきたのでしょうか。病気にならないために生まれてきたのでしょうか。



さて、一般的な書道展では、頑張って入賞者になろうと、

誰にも負けないよう苦労を惜しまず、努力をしつくした技巧的な作品が展示されます。



これも素晴らしいことなのですが、

他者評価を得るための自己犠牲が過ぎ、「本来の自分らしい書」が見失われがちです。



それに対して、書法道場展は、あくまでも「自分の在り方」を磨いていくものです。

入会したての書道初心者が、たった数枚書いて仕上げた作品が展示されたりもします。



頑張らない。競わない。評価を求めない。心から楽しむ。丁寧に味わう。遠慮をせずに思い切ってやってみる。

他者依存から抜け出し、自分の「らしさ」を開いていく。

書法道場展に向けた作品制作への取り組みは、「牢獄」から解き放たれていく営みそのものなのです。



3月17日〜20日、烏丸御池「しまだギャラリー」に生徒作品を展示します。

制作にあたって、互いに密に触れ合いながら身体感覚を整え、

歴史古典を丁寧に学び、「自分の書」を探る楽しさを存分に分かち合いました。



このようにして育まれた「書」が、いかに心地よいエネルギーを解き放っているか―。

「爛漫」に咲き誇る書作品を、ぜひ、ご鑑賞ください。




師範 武田双鳳








「書は線質で決まる」と言っても、大袈裟ではないかもしれません。

書は、線によって生み出される芸術ですから。



そもそも、線を引くことは、人間という動物の根源的な行動のようで、2歳頃になるとクレヨンなどで線の落書きを始めます。

楽しくて仕方がないのか、僕の息子達も、そこらに書いてまわったものです。



なぜ、意味や目的もないのに、線を引くのが楽しいのでしょう。

西田幾多郎の言うように「生命のリズムの発現」、すなわち、線によって自分の生き様を表現できるからでしょうか。



「線が細い人」と言うように、僕たちは、線の質と生き様との間に、何らかの関わりがあることを、無自覚的にせよ認識しています。

特に、繊細な毛筆によって書かれた線には、その生き様が表れやすいようです。

高村光太郎は「それを書いた人間の肉体、ひいてはその精神の力なり、性質なり、高さ低さ卑しさまでが明らかにこちらに伝播してくる」と述べています。



書を習ってみると、線を引くための様々な技法に出会えます(露鋒や蔵鋒、逆入平出など)。

ところが、それらの技法を駆使しようとしても、なかなかに、古典のように線が充実してくれません。

技を追っかけてしまうあまり、線が空虚なものになってしまうのです。線を書く技に「たましい」が宿っていないのです。



九成宮醴泉銘といった古典の書線に生命力が充ちているのは、

尊円法親王が言うように「古の能書家の点画には隅々まで精霊(たましい)が宿っている」からなのでしょう。




生徒の皆さん、いかがでしょう。線の稽古をされていますか。テクニックを磨くことや、見栄えを整えることに偏ってはいませんか。

一点一画に精霊を宿すことを怠ってはいませんか。2歳児の時のような線で自己表現する喜びは感じていますか―。



自分自身が出来ていないので、自戒の意味を込めて、このように言ってみました。

さて、今日も、また、基本線の稽古から始めるとします。




師範 武田双鳳









大人の基礎書法講座では中国・漢代の隷書の学習を終え、

いよいよ、書道史における最も激動の時代、魏晋南北朝時代に入っていきます。



まず、魏晋代に革新的なスタイルを打ち立てた三人の能書家―張芝・鐘ヨウ・王羲之―が現れます。

ここで、現行書体(草書・行書・楷書)の原形が出そろい、紙の普及も相まって、書の在り方が急激に変わっていきます。



特に、王羲之が編み出した書法は、その後の書の歴史のモノサシ(スタンダード)となっていきます。

唐代の顔真卿も、北宋代の米フツも、現代の書家も、その書は「王羲之との距離感」で語られるのです。



なぜ、王羲之書法が、書の歴史とモノサシとなったのでしょうか。

それは、美しさ(芸術性)と使いやすさ(実用性)を兼ね備えたものだったからとも考えられます。



その実用性(法則性)を強調していくことで初唐楷書における書体の完成に、

芸術性(人間性)を強調していくことで顔真卿以降の様々な書風誕生に、それぞれ繋がっていきます。



また、王羲之を熱愛した唐太宗の影響もあって、

奈良朝の日本でも聖武天皇と光明皇后を火付け役として王羲之ブームが起きます。



平安初期になると「三筆」(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)が登場し、

「唐様」として定着した王羲之書法に独自のアレンジが加えられるようになります。



平安中期以降、遣唐使船が廃止されてからは「三跡」(小野道風・藤原佐理・藤原の行成)が登場。

漢字をかな化した独自のスタイル「和様」が生み出されていきます。



今月の基礎書法講座では、遣唐使の阿倍仲麻呂や詩人の李白なども登場し、

いかに当時の日本が王羲之書を起点とする「東アジア漢字文化圏」に組み込まれていったのか―についても触れていきます。



私たち日本人の生活スタイルがいかに欧米化されようとも、

やはり、言語的にも思想的にも東アジア漢字文化圏で暮らしています。



その故郷ともいえる王羲之の書に触れていると、なんだか心がスッキリしていくのは、

ぼやけてしまった文化的モノサシのメモリが補正されるからかもしれません。




・・・・・・さて、新たな年となりました。遅まきながら、明けましておめでとうございます。

書法道場では2023年も「書をたのしむ場」を、生徒の皆さんと共につくっていきたいと思います。



「書」とは何なのか。常に問いかけながら試行錯誤を繰り返し、

「自分らしい書」を育てていく深い喜び。ぜひ、分かち合っていきましょう。



師範 武田双鳳



※「良美津飛平」=「ラビットぴょん」と、皆様にとって良い年になりますように!








三筆、三跡、三大家…「三」という数字は、書道史において度々登場します。



日本では、平安初期の「三筆」(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)、平安中期の「三跡(蹟)」(小野道風・藤原佐理・藤原行成)、

寛永の三筆(本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗)が有名です。



中国では、「初唐の三大家」(欧陽詢・虞世南・チョ遂良)、「北宋の三大家」(蘇軾・黄庭堅・米フツ)でしょう。

他に「三」で括ってみるならば、元明の三大家(趙孟フ・董其昌・王鐸)、清代碑学派の三大家(ケ石如・趙之謙・呉昌碩)あたりでしょうか。



道場では、先月までの稽古で殷〜漢の書(篆書と隷書)の基本的な学習を終え、

今月から六朝時代(三国〜南北朝)の書に入ります。



隷書が正書体としての役割を終え、紙の普及に伴い日常書体(行草書)が発達していきます。

それと共に、石刻文字と日常書体が融合し、楷書の完成へと向かいます。

「書聖」王羲之が登場するなど、書道史において最も激動の時代です。



このころ、能書家として個人名が登場しはじめます。「三」で括るならば、「六朝初期の三大家」(張芝・鐘ヨウ・王羲之)でしょうか。

張芝が「草聖」(草書芸術の創始者)とされることから、鐘ヨウを「楷聖」、王羲之は「行聖」とすることもできるでしょう。



三人のうちで最も技巧派といわれる張芝には、「池が墨で真っ黒になるほど書き込んだ」との故事「臨池」があり、

その後、臨池は「習字」という意味に用いられるようになっていきます。



ただ、張芝は上達のために猛練習したわけではなく、

家にある布地にも全て字を書くほどに書が大好きだったからこそ、池が真っ黒になるまで書いたのではないでしょうか。




現代人は、誰かに評価されるために…と、どうも損得勘定だよりで練習してしまいがちです。

何かのためにやる練習は、何のためにもならないにも関わらず。



果たして、僕らは「臨池」の態度をもって、稽古をしているのでしょうか。

書の本来の楽しみを深める時間を、いつも、大切にしていたいものです。



https://youtube.com/shorts/ZUT-BFufhR0?feature=share


師範 武田双鳳 2022.12








書は「美」を表現する手段の一つです。

「美」の字源は「羊と大とで肥えた羊」とされ、生命の充実を表すものです。




古来より、「美」に欠ける字は「病筆」とされ、東晋の王羲之の師・衛夫人の『筆陣図』には、

「無力無筋なる者は病なり」(字に骨力や筋力がないものは不健全である)とあります。

心と身体が健全に働き、筆の性能が十分に発揮しなければ、その書は「病」とされるのです。




病筆の例として「八病」(牛頭・折木・柴担・竹節・鶴膝・蜂腰・鼠尾)が有名ですが、

その他にも「墨猪・肉鴨」(肥えすぎた筆画)、「枯骨断柴」(やせ衰えた筆画)などがあります。




この病筆を拗らせると、「死筆」にいたります。死筆とは、筆の提按(あげ・さげ)やそれに伴う太細の変化がなく

、筆で塗りつけたり、引きずったりするだけで、少しも筆鋒の抑揚頓挫の活躍のない点画のことをいいます。




では、「病」から抜け出し「美」に達するためには、どうすればいいのでしょう。

衛夫人の同著には「多力豊筋なるものは聖なり」ともあり、

骨力や筋力が豊かな字が「聖」、すなわち、美の原点とされています。「多力豊筋」なる書の実現について、




蔡よう『石室神授筆勢』には「筆を下すに力を用ふれば、肌膚これ麗し」とあり、運

筆の際に筆尖に全身の力が透れば、点画が生命力で充ち、線の肌の色つや美しくなるとします。




このように筆力を充実させるためには、

筆の持ち方(提腕法や枕腕法など)や運び方(蔵鋒や蹲筆など)といった用筆法の稽古が必要です。

しかし、前提としての身体性が欠けていれば、用筆の練習は薄まってしまいます。




前漢の楊雄の『法言』に「書は心画なり」とある通り、書は心が発露された表現物です。

「心」は「身」であり、立ち方や座り方、息の仕方といった普段の動作によってこそ形成されていくものです。




書における身体性は「自然性」であり、

筋トレのように鍛えたり加えたりするものではありません。



そもそもから身体に備わる内なる自然の心地よさを感受しながら、

しなやかでまとまりのある筆と調和し、旋律を奏でていくものなのです。



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師範 武田双鳳 2022.11