大人の全国競書大会「たなばた展」(ふたば書道会主催)の結果が発表されました。
全国最優秀・双葉賞2名、特選2名、秀作6名、佳作11名と、
今年も多数の入選者を輩出することができました。
ひとえに、子供の生徒さんも含め、皆さんが「高めあいの場」を熱心に作ってくれたおかげです。
入賞は稽古の「目当て」(目的)ではなく、「励み」(手段)のひとつにすぎませんが、
カネなし、コネなしの完全実力主義の大会で結果を出すことは、本当に素晴らしいことです。
「たなばた展」は基本的に「上手い書大会」(技術的高さを競う大会)でしたが、
これから、「いい書の発表会」=「書法道場展」に向けて動き出します(2023年3月中旬烏丸御池「しまだいギャラリー」)。
ここでの「いい」には上手いだけでなく、スゴイ、オシャレ、カワイイ、オモシロい…など、
様々な味わいが含まれます。難しく考えることも、遠慮することも、経験や実力も一切不要です。
とにかく、自分のらしさや生き様を「書」として、思い切って表現するのです。
もちろん、前提として「書的素養」が欠けていれば、蚯蚓(きゅういん)筆法(=みみず書き)だらけの単なる「落書き」になってしまいます。
「自由に書く」といっても、古典(歴史に磨き抜かれた書法)を身につける稽古を怠ることはしません。
古典修得にとって臨書は不可欠ですが、臨書は自運(創作)を通じてこそ本物に近づきます。
達人・王鐸は1日臨書して1日創作(自運)する生活を生涯続けたと言われています。
臨書と創作は表裏一体であり、自らの書を発表することなしに書法が磨かれることはないのです。
幸運なことに、個性豊かな生徒さんが道場に集まってくれています。
ぜひ、皆さんの素晴らしい花を、ぜひ、ぶわぶわぁ〜っと豊かに咲かせて欲しい。
一度きりの人生、「書」を介して、満開にしていこうではありませんか。
※「自運は服古に在り。臨古は須く我有るべし」(王じゅ)…自運はただ勝手に書くのではない。今まで習った古法が支えてくれるのである。古典の臨書は単なる模倣ではない。その人の本来の力を引き出すものである。
師範 武田双鳳 2022.10
書道の異名としては、臨池や換鵞、水茎のほかには、
「入木」があります(「じゅぼく」又は「にゅうぼく」と読みます)。
中国では通常「入木三分」と言われ、
「筆力が沈着で強勁なさま」や「学書の工夫が精深なたとえ」などと解されています。
「入木」は、東晋の書家・王羲之の故事とされています。
『書林紀事』には、「羲之が木の板に書いたお祝いの文章を、別のお祝い文に書き改めようと大工がその板を削ってみると、
墨の跡が三分(約0.9p)の深さで木の板に沁み込んでいた」とあります。
王羲之の書線の深さや筆力の勁さを称えるものですが、
書の技法の本質について、非常に大切な示唆をしているように思います。
先月、「力透紙背」について書きましたが、書は、決して平面的ものではありません。
深い・浅い(深度)が存在する立体的なものなのです。
書法道場の稽古において、書かれた紙の裏を覗き込むのは、
その書き方が「書」であるかどうかを決定づける証拠が、紙背にあるからです。
「白虎」のような薄目の紙に書いて、もし、横画の間や払い先などが白飛びしていたら、
竹節や折木、撒箒といった「病筆」の可能性が高く、優先的に「治療」すべきところなのでしょう。
空海は入唐中、木に文字を書いたところ、墨が二寸五分しか染み込まず、ありきたりな筆力だと蔑まれたそうです。
そこで、山ごもりをして修行をし、五寸も染み込ませるような重く深い線を習得。
「弘法大師」や「平安の三筆」とまで称されるようになりました。
奥にまで染みるような書き方をするということは、それだけ、ひとつの言葉を大切にするということです。
言葉を大切にできない人は、現代社会の過大過多な情報に振り回され、いつまでたっても宙ぶらりんな生き方となってしまうでしょう。
出会った言葉を、心の奥底にまで「入木」できているのか。いまいちど、紙の裏の墨色を、しっかりと観察してみたいものです。
師範 武田双鳳 2022.9
すべての筆画に「質感」がある―。
これが、「書」であるための基本条件です。
筆画の質感といっても、
絵画のように現実生活における具体的な形は現れることはなく、
曖昧で何であるかは確定はできません。
しかし、王羲之の師と言われる晋の衛夫人が
「隠隠然として形がないようにみえて、実は形がある」と語るように、
美しい書には、何らかの存在を感じさせるような質感が、確かにあるのです。
筆画に質感を持たせるコツについては、
古人が著作の中で比喩を用いながら説明してています。
例えば、点の書き方は、一方では「高峰からの墜石の如し」と言われ、
岩石のように角張らせ、堅牢で重みを出すべしとされています。
他方では、「水中のおたまじゃくしの如し」ともあり、円満で軽快にすべしともされます。
点ひとつとっても様々な助言ありますが、
つまるところ、「力を紙背にまで透す」あるいは
「下筆すれば浮かせず紙中に刻入する」大切さを伝えようとしたものです。
ボタンを「おす」ように筆毛を押し付けても質感は出せません。
絵の具で「ぬる」や刷毛で「なでる」、
タッチパネルに「ふれる」ようにしても同様です。
筆画がのっぺりとして浮薄なものであれば、
それは病筆(悪筆)であり、敗筆(失敗作)です。
あくまでも、筆画は「紙裏にまで透す」ものであり、
「紙中に刻入する」ものなのです。
だからこそ、抽象的な存在として立ち上がり、
見る人にとっては、紙の中に突然何かが出現したと感じられるものなのです。
師範 武田双鳳
言葉は文字にすれば伝達性が向上しますが、
音量や抑揚など、肉声が備えていた身体性は捨象されていきます。
そういった言葉の文字化による身体性の捨象に逆らうかのように、
「書」は文字に身体性を与えようとしていきます。
東晋の王羲之が書の世界の規範(書聖)と評されるのは、
篆書や隷書によって政治家(記号化)が進んだ文字に再び躍動を与え、
二折法草行書で身体性を宿す技術を生み出したからです。
その後、王羲之書法は、初唐の欧陽詢により三折法楷書にアレンジされ、
中唐の李?や懐素により行書・草書も三折法化され、顔真卿や北宋の黄庭堅によりリズムが分節化されます。
さらに、元の趙孟?や明の董其昌、王鐸らによって表現手法が多様化さますが、
それらの書から王羲之の匂いは消えることはありませんでした。
ところが、清代中期頃、王羲之の匂いが完全に消えたような「碑学の書」が登場します。
その書は、人工的な技法(逆入平出)により、王羲之以前の篆書や隷書を毛筆化せんとするブームですが、
文字に身体性を宿すはずの書を、人工化によって堕落させるリスクを伴うものでした。
「書」とは何か。歴史を振り返ってみても、その答えは分かりません。
ただ少なくとも、「肉筆」という言葉があるように、
文字化で捨象された言葉の身体性を取り戻す文化的装置であることは確かでしょう。
昨今のウイルス騒動によって、「三密」といった身体性ない不自然な言葉が「呪い」と化し、
多くの人の理性と日常を奪い、未来を生きる子供に特に多大な負担をかけています。
青臭いでしょうが、僕は全ての子供達に、笑顔で人生を過ごしてもらいたい。
いったい、いつまで、豊かな子供の表情を、あの大きな人工フィルターで塞ぎ続けるのでしょう。
「書」ができることなど、些細なことかもしれません。
しかし、「書」で身体性を宿した言葉には、呪いから心を解き放つ力が、確かに、備わっているのです。
書聖・王羲之をベースに進んできた書道の歴史は、清朝の碑学派によって大きな転換期を迎えます。
書史を振り返ると、まずは、東晋の王羲之が二折法行草書で「書の基準」をつくり、
初唐の三大家(が三折法で「究極の書」(楷書)を完成させます。
その後、行草書を盛唐の懐素や李よう、顔真卿らが三折法(蚕頭燕尾)化し、
北宋の三大家(蘇軾・黄庭堅・米ふつ)が多折法化し、明末清初の張瑞図・倪元ろ・王鐸・傅山らが連綿(長条幅)化していきます。
このように「韻」(美)として、「法」(規範)として、「意」(表現)として、書は発展していきました。
ところが、清代に入ると、八大山人(朱とう)が王羲之から外れるような書をつくり、
金農が折法(リズム法)を無視して線を微動させ、
ケ石如が逆入平出法で王羲之書法から完全に離れていきます。
顔真卿であれ、黄庭堅であれ、王鐸であれ、
それまでは、王羲之のアレンジ(距離感)として自分の書をつくり上げていくのが当然の前提でした。
ところが、ケ石如を祖とする碑学派(呉熙載、何紹基、趙之謙など)は、王羲之が手を付けていない、
すなわち、王羲之を前提としえない篆隷の石碑や金文などを対象にします。
逆入平出といった新たな技法により、いわば"王羲之の呪縛"を解き、
これまでにないジャンルの書を作り上げたのです。
今月の稽古では、中国最後の王朝の書(碑学派の書)と最初の王朝の書(甲骨文)を取り上げるのですが、
およそ3000年の時代の隔たりがあり、全くの無関係のようにも思えます。
しかし、書としてクローズアップされるのは同じタイミングです。
時代は進むものとする西洋的歴史観に洗脳された僕らにとっては、「最も古い文字が、最も新しい書」という不思議な現象が起きるのです。
紀元前14世紀頃に刻まれた甲骨文が発見されたのは、
まさに、西洋列強によって東アジア文化圏(漢字文明)が滅ぼされようとする時でした。ヒエログリフであれ楔型文字であれ、西洋の古代文字は滅んでい
ますが、漢字は古代から連綿と受け継がれてきた文字だったのです。
甲骨文字を筆墨で書いてみると、なぜだか、故郷に帰ったときのような安堵感に包まれます。
それは、漢字を言葉にしている日本人にとって、甲骨文は「こころのよりどころ」としての存在だからなのかもしれません。
4月初旬ごろ、近所の道端で咲き誇る花に、目を奪われました。
「何の花かな?」と調べてみると、
「蘇芳」(すおう)という伝統色(和色)に似ていることから、「花蘇芳」と。
そもそも、蘇芳を知らなかったので、伝統色について調べてみると、なんと、400色以上もあるそう。
「ジャパンブルー」(藍色)はメジャーでしょうが、「躑躅」(つつじ)、「紅絹」(もみ)、「朱華」(はねず)、
「褐」(かち)、「木賊」(とくさ)。「楝」(おうち)、「空五倍子」(うつぶし)など、読み方すら分からない色が多数。
そうこうしているうちに、数か月前、書作品用に「青色」の特殊加工雁皮紙を注文するも、
届いたのは「茶色」の紙だった件―を思い出しました。
どこからどうみても、誰に見てもらっても「茶」なのに、紙屋さんは「青です」と。
これも、ご縁かぁ〜と、(いい意味で)あきらめ、茶色に見える紙で作品をつくり、道場展に出品しました。
今回、伝統色を調べていくうちに、
「青色系」には「藍海松茶」(あいみるちゃ)のように茶色に近いものもあることを知りました。
あぁ、あの「茶色」に見えた紙は、紙屋さんの言う通り、「青色」だったんだ・・・。
いかに、自分の知る「青色」の領域が狭かったか、道端の「花蘇芳」がキッカケで思い知らされました。
まぁ、でも、こんなひょんなことで、疑問が解決するなんて、オモシロいものですね。
青色の紙の次は、何がキッカケで、頭の中のモヤモヤが晴れていくのでしょう。
世の中は、分からないことばかりで、知らないことだらけですが、
だからこそ、この世に生きることが、こんなにも愉快なのかもしれません。
みんなでワイワイと食事する―。そんな当たり前のことが、当たり前でなくなって2年以上。
形だけのアクリル板や精度の低い検温など、合理性が疑われる社会的制約を強いられています。
ミンナノタメという同調圧力や、シカタナイといった非科学的妄信によって、
僕らは、どれだけ狭い「見えない檻」に閉じ込められ、どれだけ自由を奪われているのでしょう。
日常そのものが奪われる危機的状況に、「書」に何ができるのだろう…と
深く悩みもしましたが、生徒の皆さんが、救ってくれました。
自由に選んだ言葉を、からだいっぱいに書く姿は、
まさに、「見えない檻」から、解き放たれた瞬間だったのです。
3月に開催された書法道場展「解放」では、生徒作品が80点以上展示。
それぞれの「ときはなちのことば」を、烏丸御池の文化財という最高のステージで表現する機会を設けました。
来場者は4日間で900人以上。
会場を何周もする長期滞在者が続出し、たくさんの喜びの声が届けられています。
有難いことに、まさに、「解放」の場になったのです。
書は、いわば「鍵」。「言葉にならない何か」を書くことで、
「見えない檻」を開ける歴史的文化的な装置です。
数千年に渡り受け継がれてきた書の力に感謝しつつ、
来年の道場展開催に向けて、また初心に帰り、基本動作から磨いていきたいと思います。
道場展にご協力いただいた生徒の皆さん、関係者の皆様、
本当にありがとうございました。
おかげさまで、より楽しい道場展が実現でき、
「社会をやさしく照らす」というミッションを、また一つ、達成できたように思います。
私事ですが、四十代半ばにして、スケボーに挑戦することにしました。
スピード恐怖症で、バイクやスノボーといった速い乗り物には、これまで近づくことはありませんでした。
ただ、
バランスボードで稽古していますから、もしかしたらスケボーはいけるかも…と、欲が出てきます。
「チャレンジしたいこと」がテーマの2月開催の全国書遊び大会で、
「スケボー」と書いた息子にのっかり、スケボーを購入。とりあえず乗ってみると、すってんころりん。近所の子供達は大笑い。
まるで、
ケ石如の篆書のように、見た目からは想像できない難易度の高さじゃないですか。
単純そうなのに、いざやってみると、とんでもなく奥が深い。制御できない速さ、転倒したときの痛さ、怖いことだらけです。
それでも、やっぱり一度は乗ってみたい。
ここは、書の稽古のように、スモールステップで動作を細かく分解、簡単なことからやってみることに。
まずは、片足だけ乗せて、ゆっくり歩くだけ。「カメなみのノロさ」とイジられますが、ほんのり恐怖心が和らいでいきます。
一日30分程度、カメ乗りを続けて三日間。息子のようにターンなどの技はできず不細工ですが、とにかく、乗れるようにはなりました。
「ザザザザザー」とのタイヤとアスファルトとの摩擦感が、揚州八怪・
金農の線質(無限微動筆蝕)のようで、なんとも心地いい。
膝裏を抜くと安定したり、上半身を先に捻ってターンするなど、
書道でも求められる筆のような、しなやかで、まとまりのある身体が求められます。
滑らかに、かつ、弾むように自由自在に紙を乗りこなす筆の動きに習いながら、
今日も、ちょっと、スケボーに親しんでみるとします。
」
「(ほかのクラスで)かんせん者が出たので17日〜21日まで学年へいさがありました。
21の時点で卒業まであと36日なんです。もっと学校に行ってみんなに会いたいです。
家族としかしゃべっていなかったのでこうして手紙を送れるのがとてもうれしいです」
小6の生徒さんからお手紙をよんで、やたらに胸が痛みます。
しゃべりながら食べちゃダメ、みんなでワイワイと盛り上がっちゃダメ、マスクなしに自由に息をしちゃダメ…。
ウイルス災禍になって2年以上、様々な制約が「新たな日常」として押し付けられたものです。
ひとたび「濃厚接触者」という網にかかれば、たとえ元気であっても外出が制限されたり、学校等が閉鎖されたりしています。
ここまでくると、ウイルスそのものよりも、「対策」と名を冠した「呪い」の方が、随分とオソロシイように感じてしまいます。
さすがに、呪いのリスクを危惧する人が増えてきましたが、
いったん無意識に刷り込まれた「呪い」は、絡まった糸のように中々に解けないものです。
どうにかして、社会にまん延する「呪い」を解いていきたい。
「ときはなちのことば」を書として表現することで、押さえつけられている人々の心を解き放っていきたい。
僕は、生徒のみなさんが「ときはなちのことば」を表現する様子を目の当たりにして、
大きく心が揺さぶられ、全身が軽やかになりました。
3月開催の道場展「解放」に参加される皆様、
そして、ご来場いただいた皆様が「呪」を解き、「祝」に転じますように。
そして、思う存分、エガオを放ち合える日常を過ごしていきますように―。
2022年の干支は「壬寅」(みずのえとら)ですね。
そもそも、干支の「干」は幹(根)、「支」は枝(枝葉花実)を意味します。植物の発生から順次変遷し、
その終末に至るまでの過程を干は十段階、支は十二段階に要略し、これを組み合わせて60種にしたものが干支です。
植物の生命変化を表すために利用されてきた干支は、
次第に人間世界の様々な出来事や時勢についての判断にも適用され、
単なる占いではなく、学問として古代からの知恵が集積されていきました。
現代においても、天然自然の摂理にしたがった人間のあり方、
生き方を示すものとして大変重要な意味をもっています。
壬寅の「壬」は「妊」に通じ、植物の果実や穀粒が成熟することで、陰気が極まって陽気が生じる時期です。
「寅」は「演」に通じ進展を意味し、万物が演然として地上に生ずる意です。
そのため「壬寅」は、厳しい冬を越え、新たな生命が芽吹く時期であり、
新しい成長に向かって動き出す年とされています。
2021年「辛丑」(かのとうし)は、痛みを伴う衰退と、新たな息吹が互いに増強し合う冬籠りの年でしたが、
「壬寅」では、ようやく春を迎えられるようです。
上記の「恭賀灯楽」(たいがとら)とは、「新年を丁寧に楽しみ、日常を灯していこう」という意味の造語です。
どうか、皆様の2022年が、豊かに彩られますように―。心より祈っております。
幼少の頃に発育が悪く、言葉が遅れ、字も下手。
26歳で科挙に失敗。以後25年間挑戦し続けるも、ついに及第することがありませんでした。5
2歳になって文章の校閲を司る役人に推薦され官僚になりましたが、
堅物な性格もあって政治の腐敗に嫌気がさし、57歳で退官します。
なんだか、可哀想な人生のように思えますが、
この人物こそが明代の能書家・文徴明です。
25年にわたる浪人時代に、腐ることなく学問に刻苦精励し、詩書画に打ち込み、
やがて、「三絶」とまで称さるようになり、当時の芸術界を主導する重鎮にまで登り詰めます。
90歳で亡くなる際も揮毫中にだったと伝えられ、
その死後も、文徴明ブームが途絶えることがありませんでした。
非才な文徴明が大成した要因としては、
父・文林が息子の晩成を信じて、古文は呉寛、画は沈周、書は李応禎という超一流の人物に学ばせたことや、
祝允明、唐寅、徐禎卿といったセンスあふれる芸術家との交流に恵まれたことが挙げられます。
ただ、唐寅に「傍にいるだけで心が洗われる」と言わしめた高潔温純な人柄で、
ひたすらに自分の楽しみを貴んだ彼の純粋な生き方こそが、最も大きな要因のように思います。
「自分にはできない」と心が折れそうなとき、文徴明の生き様を思い出してみませんか。
たのしくたんたんと工夫を続けていけば、必ず、自分の才能は輝きだしますから。
大人の通学生のみなさんは、11月は条幅課題にトライします。
条幅課題の場合、特にポイントとなるのは「筆脈の通し方」です。
筆脈(脈絡、気脈)とは、点画間の見えない繋がりのことです。
すぐれた書は、字外の筆の動きによって筆脈が通り、余白にエネルギーが満ちています。
初心者にありがちなのは、墨継ぎのしすぎにより筆脈が途絶えてしまうこと。
もちろん、墨継ぎをしなさすぎると線がパサついてしまうので、墨継ぎと筆脈のバランスが肝要です。
コツとしては、
@次の文字の一画目を書いてから運筆の呼吸に区切りをつける、
A字の途中で墨継ぎをした場合は、空で前の点画を書くようにしてから次の点画を書き始める、
B筆の墨持ちが良くなる工夫をする(筆毛の根本までしっかりと墨を含ませるなど)が挙げられます。
唐の太宗は、王羲之の書を「状は断つるがごとくして、還って連なり」とし、
繋がっていないようで繋がっており、切れているのに連続感があるところに、運筆の妙があると評します。
点画が見える線で繋がっていなくても、見えない線で繋がっているように書くためには、筆の空中での運動(空中揺筆)と共に、
運筆における気持ちの持続が大切です。
歌人が自詠の歌を書いたものは、たとえ筆法が稚拙でも、点画間、文字間に気持ち通り、全体に筆脈が通っています。
気持ちを持続するかどうかは、書く言葉に対する感度の高さが大きく関わっているのでしょう。
例えば、「千峰黄葉村」を書く場合、単なる文字として書くのか、
それとも、美しい秋の情景を思い浮かべながら書くのかでは、出来上がりの質が根本から異なります。
先に挙げた@〜Bのような技法を高めていくと共に、ぜひ、言葉に対する感度を磨いていきましょう。
清書を出した後、「後悔の波」が押し寄せることはありませんか(僕は、度々です)。
「反省すれども後悔するな」とは言われますが、墨のつけ方を工夫すれば…あの筆を選んでいれば…等と、
提出してからクヨクヨとしてしまう。清書を出してスッキリした〜という方に、羨望の眼差しを向けたくもなります。
出しても落ち込むことが分かっているので、いっそのこと出さないでおこうか…と投げやりになりそうですが、
部屋の反古紙の山を眺めると、やはり、出さないのはもったいないなぁと思い直したりします。
考えてみれば、清書という「区切り」があったからこそ、自分の書を高めようと創意工夫を繰り返すことができました。
心身を磨き高めるチャンスが与えられました。もし、清書という機会がなければ、だらだらと時を浪費しているだけでした。
そもそも、自分が納得できない清書でも、他人からすれば、案外、クオリティーが高かったりします。
「清書の出来が悪くて」と凹む生徒さんの作品を観て、「めっちゃ、いいじゃん!」と突っ込むことは日常茶飯事。
あなたの清書は、あなたが思う以上に素晴らしいのです。
気に食わない清書を出したくない。その気持ちは痛いほどに分かります。
でも、自分には見えない良さが、その清書には沢山含まれています。
しかも、清書を出すだけで、書は向上します。書は表現行為であり、表現していく度に磨かれていくものです。
清書を出すことも、立派な表現行為です。
外に向かって自己を実現することであり、池に投げた小石のように波紋が起き、小さくとも世界に何らかの影響を与えるなのものです。
「清書は仕上げることよりも、提出することが大切なんだ―」。
そう自分に言い聞かせながら、また、筆を執ってみようと思います。
手本をよく見ようー。
書の世界では日常的なアドバイスです。
ただ、見える人に「見よう」というならばまだしも、
見えない人に「見よう」というのは、少しムチャぶりのように思います。
後者の人には、書いて「見せる」方がよっぽど効果的です。
ただ、見せてもらえなければ見ることができない…では、なかなか芸が磨かれていきません。
稽古の目標の一つは「自分らしい書表現」ですが、それは、「自分らしい見え方」があってこそ実現されるものだからです。
そもそも、書の手本は、目に見える「書かれた文字」に限られません。
目に見えない「書かれ方」―筆の働き方―こそ重要な手本なのです。
「書かれた文字」は「花」のようなもので、往々にして、その美しさに目を奪われ、「根」(書かれ方)には思いを馳せることができません。
「根」に養分が巡るからこそ「花」が咲くように、「書かれ方」に芸が尽くされるからこそ、「手本」として成立しています。
では、「書かれ方」が「見える」ためには、どうすればいいのでしょう。9
月の稽古では、「松風閣詩巻」や「風信帖」の臨書だけでなく、その時代背景や人物像なども学びます。
加えて、手本なしの創作書道にチャレンジしたり、体操や瞑想を通じて互いの身心を磨き合ったりします。
時代の風を感じる、生き様を味わう、自分を引き出す、仲間と高めあう…。そ
んな場に身を置くことが、「見える」ようになるための王道です。今
月も、あなたの「根」に十分な養分が行き渡り、
あなたらしい「花」を存分に咲かせられるように、「土壌を耕す」(場を磨く)ことから始めます。
書史上の最高傑作は?と尋ねられたら、どう答えますか。
ありきたりですが、僕はこう答えます。
中国では蘇軾「黄州寒食詩巻」、平仮名は「寸松庵色紙」、和様漢字は藤原行成「白氏詩巻」と―。
特に、「書中の書」と評される「黄州寒食詩巻」については、早いうちに味見しておきたいところです。
ただ、苦みや辛みなど大人の味が多分にしますから、どこがウマいのかが分からない…と感じるのは仕方がないことでしょう。
そこで、赤ちゃんが離乳食から始めるように、スモールステップで段階的に学ぶことををおススメしています。
まずは、パスタやカレーといった定番料理―欧陽詢「九成宮醴泉銘」―を味わってみましょう。
(ポイントは@「露鋒(筆尖と筆胴の二分法)」とA「三折法(刻法の内包)」、B「構築美(背勢と補空)」)
次に、肉じゃがや卵焼などのお袋の味―王羲之「蘭亭序」「集字聖教序」―に戻ってみましょう。
書の出発点に戻ることで、効率的な学習が期待できます。
(ポイントは@「中鋒」、A「二折法」、B「右上がりや方円の変化」)
最後に、(好き嫌いがあるところですが)肝の煮つけやゴーヤチャンプルーなど
癖のある料理―李よう「李思訓碑」と顔真卿「顔勤礼碑」―も試してみましょう。
(李思訓碑は「上疎下密による不均等構成」、顔勤礼碑は「蚕頭燕尾」がポイント)
そういった段階を踏まえて、「黄州寒食詩巻」を再び味わってみましょうか。
王羲之・欧陽詢・李よう・顔真卿に学び、新たな領域を開拓した蘇軾。
蝦蟇のように身をすくめ、時には、クラゲのように触手を伸ばし、
筆尖を突っ込んだり筆胴でなでたり、文字や行を歪ませたりすることで、
いったい、どんな料理を提供しようとしたのでしょう。
なめらかで、こしがあり、先が効いている…。
あぁ、そんな美しい線で想いを表現できたらいいなぁーと、稽古をします。
ただ、そんな理想はあれども、現実は、がたがた、ぺちゃっ、バサバサ・・・
こんなに思い焦がれているのに、なぜ、美しい線と出会わせてもらえないのでしょう。
筆のもち方、墨のつけ方、道具の選び方…美しい線が遠ざかっていく原因は色々とあるのでしょう。
その場に応じて、対症療法を積み重ねていくことも大切ですが、やはり、根本療法を合わせてやっていきたいものです。
いろんな人の書き方を観察してみると、
横画が凹つくときは脇を締め過ぎ、払い先がバサつくときは筆を握り過ぎ、行が傾くときは目を寄せすぎ―と、
線の乱れには「過剰」が影響することが多いよう。
おおよそ手先の使いすぎという「過剰」ですが、それは、足腰を使わなすぎ「過少」でもあります。
「使う(使わない)」という言葉を選んでしまいましたが、書く際に、じゃあ足腰を「使おう」とすると、コトへの集中が阻害され、
書き方が不自然になってしまいます。大切なのは、「手先だけを使わない」といった意識をかけることではなく、
書く以前における無自覚的な身体の在り方そのものなのです。
書法道場では、ヒモトレなどの意識に頼りすぎないアプローチで、
身体の過剰過少(アンバランス)を、よき塩梅(調和)に導く時間を大切にするようにしています。
(7月31日開催する特別講座「骨ストレッチ書道」では「骨でコツをつかむ」機会を)
美しい線は、美しい佇まいから派生する「果実」です。立ち方、座り方、歩き方、息の仕方・・・。普段の何気ない動作を整えることから、急がば回れで、やり続けていきたいと思います。
上達の近道―。そんなものがあるとしたら、スグに食いつきたいものですね。
早く上達する人は、どんな人なのでしょう。やはり、生まれ持っての資質によるものなのでしょうか。
ところが、自ら資質がないという生徒さんでも、意外や意外、ぐんぐん上達して、
いまやプロとして活躍しているケースは少なくありません。おそらく資質と上達の速度は、あまり関係ないのでしょうね。
では、上達が早いのは、どんな人なのでしょう。ありきたりな答えでしょうが、やはり、「続けられる人」です。
ただ、そう言うと「やる気満々な人」を想像されるかもしれませんが、
やる気に頼りすぎる人は「続けられない人」の典型例。アドレナリンによる興奮作用で「やった感」に酔い、長続きしません。
もちろん、「やる気」を持つことは大切です。
しかし、「やる気に頼らず続ける」ことこそが、上達の近道」なのです
では、どうしたら、やる気に関係なく続けられるのでしょう。
「やる時間を決める」「成果を見える化する」「小さな目標を立てる」など、様々な方法がありますが、今回おススメするのは「ついでやり」。
トイレに便座クリーナーがあると、つい、拭いてしまいませんか(僕はトイレにブラシがあると、つい便器を磨いてしまいます)。
この「ついでに拭く」が続くと、トイレという既存の習慣に掃除という「新たな習慣」がくっつき、
やる気を問わず続くようになります(今や掃除をせずにはトイレを出られない…)。
書の稽古にも「ついでやり」の導入、いかがでしょう。
机の上に筆や墨を常時置いておく、トイレに書史年表を貼っておく、スマホの待ち受け画面を書作品にするなど、いろんな方法がありそうですね。
もし、何かいい方法があれば教えていただけると幸いです。
そうやって、仲間とワイワイ楽しむことが、最良の「ついでやり」でしょうから。
手本を見て書いたけど、どうも、手本とは違う・・・。
古典の臨書をすると、そんな違和感を感じることがあるでしょう(僕は毎回感じます)。
もちろん、人間は機械ではありませんから、完コピはできません。
しかし、見て書いたとは到底思えないほど別物になってしまうことに、強い違和感を覚えるのです。
手本と別物になる原因の一つとして、脳内文字の乱れが考えられます。
長時間の活字閲覧によって脳内文字の躍動が失われたり、早書きによって脳内文字の整斉が崩れたりすることで、
目から入る古典の映像にノイズが入ってしまうような状態です。
情報機器が普及し、迅速な情報処理が求められる現代においては、
活字閲覧や早書きの習慣は生活に組み込まれていますから、
何らかの工夫をしない限り、脳内文字の乱れは進行するばかりでしょう。
ここで、別に脳内文字が乱れたって不便はないと言われそうです。
確かに、PCやスマホに代筆させれば、自分の脳内文字をわざわざ出力する必要はありません。
しかし、脳内文字は言葉の構成要素です。
言葉が思考を、思考が行動を決定づけるとなると、
言葉の前提たる脳内文字の乱れは、決して、無視できないのではないでしょうか。
もっとも、どれだけ乱れても、美しい脳内文字は消えることありません。
だからこそ、現代人でも古典に美しさを感じ、また、自分と古典との乖離に違和を覚えるのです。
機械的な字を書いたり、クセの強い字を読んだりすると、
気持ち悪さを感じるのは、自分の中の「美」が異議を唱えているからこそです。
これからも、「脳内文字は美しい」という前提で、それを健やかに表現するための稽古をします。
書を通じて、自分の「美」と世界の「美」が調和する心地よさを。
このBeautiful Harmony(令和)の時代に、めいっぱいに味わっていきませんか。
「書道ってやる意味あんの?」と中学生の息子。
そういえば、僕自身が中学生の頃も、成績や将来にとって全く意味がないと思っていました。
(まさか、大人になっても書道をするなんて、つゆほども想像していませんでした…)。
大した意味を感じず書道を「やらされて」いたのですが、
大学受験や国家資格試験、就職活動や起業など人生の転機の度に、なぜだか、「書道、やっててよかった」と思います。
大学受験も国家資格試験もほぼ独学だったのですが、どちらも短期間で合格。
家族から飽きられるほど物覚えが悪いのに、大学受験や国家資格試験は学校に通わず独学で、しかも、短期で合格してしまいました。
出題範囲の捉え方や覚え方などが臨書の稽古にそっくりで、人一倍サクサク進むことができます。
書道は書き方だけでなく、「学び方」まで磨いてくれていたのです。
就職活動や起業の際には、誰に何を言われようと、ぶれずに思い切った行動をとることができます。
二度書きできない書の厳しさが、決断力や行動力を養ってくれていたのでしょう。
もちろん、ちょくちょく「字がキレイ」と褒められるのも嬉しいですし、
姿勢と呼吸を整える書の所作は、日々の上機嫌も増やしてくれています。
ただ、そういって、書道のよさを息子に伝えようとも思うのですが、
あの頃の自分と同じように、わかるはずがありません。今は、放っておいてみましょう。
いずれ、これからの人生で「芸は身を助ける」という嬉しさを、何度も経験していくのでしょうから。
3月26日〜烏丸御池で書法道場展を開催します。
それにしても、テーマの「R」。読み方すら知りませんでした。
調べてみれば「@まばゆい、まぶしい」と。
コロナ災禍でどんよりムードの社会にとって、ピッタリのテーマと思いませんか。
「コロナ終息後やりたいこと」とのお題で創作大会をしてみると、
書かれるのは「里帰り」「旅行」「カラオケ」「みんなで集まる」など。
いかに「当たり前」が奪われているか、いかに「日常」を渇望しているのか。
悲壮感すら漂う作品の書きぶりから伝わってきます。
このような緊急事態の中での道場展の開催には、大きなリスクが伴います。
当初は開催をためらいました。ただ、生徒の皆さんの熱意に背中を押してもらえ、やってみようと決断しました。
考えてみれば、明末清初の王鐸や傅山など、激動の時代には「新たな書」が誕生してきました。
今こそ発表の機会を設けなければ、「もったいない」ことは確かなのでしょう。
道場展の目的は「自分が楽しみ、社会を豊かにすること」。
自分の想いを「書」を媒介に身体表現することで、周りを照らしていく機会です。
「R」には「Aひけらかす、みせびらかす」との意味もありますが、決して、自分の技術をひけらかす場ではありません。
他人と比較したり、評価を得たりする場ではありません。
何かのためにと力んでやったことは、得てして、何のためにもならないものです。
「ほんのジョークでつくった」というアプリがFacebookの元だったりもします。
訳もなく楽しんでやっていることの中にこそ、本当の「ため」が潜んでいます。
今回も生徒の皆さんが、ただただ作品制作を楽しんでくれました。
それぞれの作品が心地よく輝いています。その「ひかり」を、ぜひ、受け取りに来られてください。
あけましておめでとうございます。
おかげさまで、2020年の子年は「音澄美紐宙」な稽古を実現できました。
生徒の皆様、関係各位の皆様に、心より感謝をしております。
2021年は「辛丑」(かのと・うし)。
「丑」は「芽が種子の中に生じるも、まだ伸びることができない状態」とされ、
「辛」は「痛みを伴う幕引き」と言われます。
しかし、「説文解字」には「丑は紐(はじめ)なり、十二月(旧暦)万物動き、事を用いるに手をあげるの時なり」と、
「漢書律暦志」には「子に孳萌(じぼう)し、丑に紐芽(ちゅうが)す」と記されています。
「丑」は、「何かが始まる前触れの状態」であり、エネルギーが満ちた状態を表します。
「辛」は、「金の弟」(かのと)であり、タイヤモンドなどの宝石のように磨けば洗練される性質を有します。
ここから、「辛丑」を「人生が大きく好転する前夜」と捉えてみてはいかがでしょうか。
書法道場における「辛丑」は、「心身の健やかさ・文化的な楽しさを味わう場」を、
皆様の力を借りながら、さらに磨き上げていきたいと思います。
もちろん、「丑」は「紐」ですから、ヒモトレと書道の融合も、さらに深化させていきます。
伸び悩むこともありますが、今日も、『初』心に戻って『始』めてみましょう。
『猛』烈に頑張りすぎることなく、牛の歩みでボチボチと、自分にとって『望』ましい場所に進んでいきましょう。
『初始猛望』と書いて『うっしモーモー』。
皆様の日常が、『初始猛望』(うっしモーモー)と笑顔に包まれるよう、心よりお祈り申し上げます.